私が保険の仕事を始めた理由

はじめに

私が保険のプロフェッショナルを目指した理由は、【お客様の言葉】です。
全く知らない第三者の方に、涙を流し、手を握られ言われた「ありがとう」の一言が今でも忘れられません。この言葉がなければ、違う人生になっていたことは否めません。全ては大学時代のワンシーンからです。少し長くはなりますがお話いたします。

エピローグ「剣道」

私の趣味・特技は剣道です。小さなころから、今でも続けており現在は6段をいただいております。何故だか胴着を身にまとうと力がわいてくるような気がしてたまらないのです。この感覚が堪らなく好きです。「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、高校時代に神奈川県No1になりインターハイに出場させていただいたり、神奈川県の代表として国体にも出場させていただきました。どうしても剣道を追求してみたくなった私は剣道の名門である東海大学の体育学部武道学科に進みました。

ところが、ここがとんでもない学校です。私は剣道で少し天狗になっていたのかもしれません。何にせよ、1学年はたったの20人程で、しかも全国でも有名な精鋭しか入学してこないのです。勿論練習は「厳しい」の一言では言い表せないほどで「厳し過ぎる」です。しかも試合に出たくても、レギュラーまでが狭き門なのです。レギュラー7名(選手候補は9名)です。その7名は、1年ごとに20名で結成される選抜メンバーから決められます。全体で80名(20名x4学年)の中から、まず20名に残らなければ少なくとも1年間は試合には一切出ることが出来ないのです。

前途多難な大学生活のスタートです。

挫折

正直、頑張りました。本当に頑張りました。昭和を絵にしたような父から教え込まれた「気合い」と「根性」で1年生の時からレギュラーに入る事が出来たのです。

しかし、人生最大の挫折が大学2年生の時に訪れました。左手の肘の靱帯断裂・・・。当然、剣道など出来るわけがありません。
それは、今まで築き上げた地位からの脱落も意味します。9名の選手候補からは外れ、20名の選抜メンバーからも簡単に外されてしまいました。このような時に「心を強くする」「気持ちを切らさない」などと言いますが、私には無理な話です。はじめてのケガとともに、剣道を諦めた瞬間でした。

剣道で大学に入り、思えば中学校、高等学校を剣道一色で過ごした私が剣道を諦めるということは、人生を捨てた瞬間でもあります。毎日ぼんやりと過ごす日々がつづきました。本当に無力を感じた時です。

我慢

ケガで剣道が出来ない毎日は退屈の一言です。なにせ、物心がついたときから剣道一色で暇という時間がなかったのです。大学時代もほとんど毎日が練習です。あまりにも時間をもてあそぶので、人生初のアルバイトをすることに決めました。剣道をしない私に仕送りをして頂くのは心苦しかったからです。お金も底をつきてきたのです。しかし、基本アルバイトが禁止の学部ですので、アルバイトは短期間のものしか行えません。そんなに都合良く短期間でのアルバイトなど、なかなか存在するはずがありません。
そこで仕方なく父の経営をする会社(現:株式会社仲亀)でアルバイトをすることに決めました。

内容は、保険のチラシ配りです。チラシを配って営業に繋げる仕事です。アルバイト料金は1件成約につき5,000円という取り決めです。完全歩合制です。その当時の私の正直な気持ちとしては「楽勝」の二文字で、簡単なアルバイトと思っておりました。

ところが、これが非常に大変なのです。1日平均300件は訪問をしたでしょうか?時間も早朝の早くから、暗くなる時間帯まで汗でベトベトになりながら働きました。理由はお金にならないからです。契約など夢のまた夢、なんせチラシすら受け取って頂けないのですから、話を聞いてももらえないのです。兎に角、量が大切だと思い徹底的に訪問をいたしました。

体育会系の私はこのように教え込まれておりました。全ては「気合い」と「根性」、「成功」とは「成功するまで続ける事!」約2週間(15日ほど)のアルバイト期間でしたが貴重な体験をいたしました。初めて、お金を稼ぐ大変さを知った瞬間です。

感謝

人生初のアルバイトから約1年程の月日が過ぎたある日に事件がおきました。 実は、アルバイト期間に私を通じて保険に加入していただいた方が突然がんの病気でお亡くなりになったのです。

正直私はびっくりいたしました。びっくりには二つあります。一つ目は突然お亡くなりになったことです。もう一つは「もしもの事」が起きたからです。私は、保険を紹介しつつも「万が一」や「もしもの事」はないと思っておりました。何故か私も責任感を感じ、死亡保険給付金をお渡しするべく手続きをするためにお客様宅へむかいました。

お客様を目の前にして、20歳前後の青年であった私はどういう顔をしてよいのか解らず戸惑っていいたのを思い出します。兎に角、何をすればよいのかを必死に考え汗をかいている状態です。すると、お客様から私の手を握って泣き出したのです。

そして「ありがとうございます」と頭を何度も下げられたのです。

何度も何度も頭をさげられました。私は、どうして良いのか解りませんでしたが、あの手の感触は今でもわすれません。多分、今まで生まれてきた中で、初めて他人から感謝された出来事だと思います。「こんなに感謝をされる事があるのか・・」強烈なインパクトがある経験でした。 その後のことは正直覚えていません。

その日の帰路につきながら父がこの言葉をいってくれました「アメリカでは弁護士や医者と同じくらいに保険のプロフェッショナル(保険代理店)は扱われているのだ。責任のかかる仕事だな・・・」まさに、その言葉の意味が、少しだけ解った瞬間であり父の姿が格好良く思いました。もしかして、この時から保険のプロフェッショナルになりたいという気持ちになったのかもしれません。

復活・決断

そして私は復活をいたします。お客様と“涙”の出来事が私を奮い立たせたのは事実です。それからは剣道一色です。しかし、大学では稽古が不十分(選抜メンバーに入っていないため)なので、いろいろな道場に練習にいきました。(正確には、勝手に押しかけていき稽古をして貰うまで座り込む・・)特に警視庁の特練は非常に厳しかったです。しかし、「万が一」を経験した私にとっては続けることしかできませんでした。何時私にも「万が一」があるかもしれませんので、やれるときは行動しないといけないと感じておりました。沢山の人との出会いと、優しさにふれた時であります。

そして、汗と涙にまみれ剣道に没頭した半年が過ぎたとき奇跡は起きたのです。なんと選抜メンバーに復帰したのです。しかも、キャプテンにまで選出されました。

しかし、良い事ばかりではありません。剣道一色で過ごし、また復活の為に更に剣道に没頭しておりましたので、就職活動を一切行っていなかったのです。剣道が出来る一般企業は手遅れで新卒採用には間に合わず、体育教師への道も定員が一杯で正採用が厳しい状態。直ぐにでも仕事をして稼ぎたい私には就職浪人は考えられません。

そして、結果的に某外資系の保険メーカー様にお世話になることになりました。

最近の脳科学でも証明されておりますが、意識したことは現実になるそうです。私はアルバイトの経験から、お客様の「手の感触」と「ありがとう」を忘れたことが無かったと思います。いろいろと頑張れた糧だったかもしれません。多分、無意識の中で思い続け、保険業界に進むという意識が芽生えていたのでしょう。

昔は考えた事が無かった父の会社を継ぐことも、今では意味があることと感じています。仲亀が創業して36年、私は100年続く企業を目指していきたいと思います。「ありがとう」の言葉を言われ続けるために日々努力します。

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